女剣士の下着はふんどし。
- 2006/10/11
- 11:17
筆者は時代劇に登場する男装の女剣士が大好きでたまりません。 美女が何らかの事情で己の性別を隠すという倒錯美に魅かれてしまうのです。
胸にさらしを巻いた袴姿の美女が追っ手から逃れたり捕まったりといったシチュは、まさに時代劇ならではの危ういエロスの発現であります。
そんな凛々しい女剣士は下着にきっちりとふんどしを締めていなければ! と思うのですが、これにはちゃんとした理由があります。
まず膝丈の長い腰巻ではズボン状の袴は穿けません。ひっかかってしまいますし、腰のところを軽く止めた程度では激しく動くうちに落ちてしまいます。そして刀を振るったりするには力が要ります。古武道でも教えるように、下腹部を締めつけることによってふんばりやすくなるのです。袴の帯やふんどしを臍の下で締めるのは理にかなっているのです。
そして一番大きな理由は、江戸時代までの女性は越中やもっこ褌を生理帯として使っていた、という点です。毎月締めていたのですから、女性にとって実に当たり前のことなのです。何の抵抗感もあろうはずがありません。昔は生理中の女性を穢れたものとして忌み嫌う風習があったので、あまり大っぴらに語られなかっただけなのです。
「鬼平犯科帳」で有名な池波正太郎は筆者も大好きです。特に「剣客商売」シリーズに登場する女剣士・佐々木三冬が最高です。この「新妻」では、敵に捕らえられた三冬が女であることがバレてしまうという素敵シーンがあるのです! 救い出してくれた秋山大治郎との祝言を上げてお話はハッピーエンド。危ういエロさをそこそこ満喫しつつもほっとできる良作です。
三冬の下着に関してはさらし以外の記述がないのですが、「剣客…」シリーズの番外編「まんぞく まんぞく」の主人公・堀真琴にその描写があります。彼女の下着は、なんと膝上まで切り詰めた腰巻なのです。たしかにこれなら袴は穿けるでしょうが、今ひとつ釈然としません。男嫌いが原因で剣術にはまり、男の着物まで着る真琴が、わざわざ下着だけ腰巻にこだわる理由がありません。
考えるに、これは氏一流の創作ではないでしょうか? 池波先生が女相撲や生理帯の話を知らないとは思えませんが、ふんどしを出すとそこらへんの話にも触れねばならず、下世話になりすぎるのを避けたのでしょう。池波作品はグルメ描写が大きな魅力ですが、料理研究家によれば嘘も多いとのこと。つまり、池波先生は正確な時代考証とは別に読者を楽しませるウソのテクニックにも長けていた、ということなのでしょう。
これだけ人気のある池波作品に女褌が登場していたら、世間の理解度も大分違っていたはずなんですけどねぇ…。そう考えるとなんとも残念ではあります。
「桃太郎侍」の原作で有名な山手樹一郎(やまて・きいちろう)の「鶴姫やくざ帖」にも実に素敵な女侍が出てきます。双子の姉の危機を救うため「鶴太郎」と名乗って江戸を目指す鶴姫と、それを助ける謎の浪人・松島銀之助の活躍を描く痛快娯楽編。
残念ながらこれにもふんどしは出てきませんが、銀之助に見張ってもらって入浴するシーンや控え目ながら濡れ場もあり、普段は乱暴な男言葉なのに2人きりの時は女言葉に戻るというギャップが実に萌えさせてくれます! 同工異曲の設定・展開を見せる「紅顔夜叉」や、女装の麗人・犬坂毛野が活躍する「新編・八犬伝」も傑作。
鳴海丈も池波作品を下敷きにしているらしく女侍の下着を短い腰巻や袴にしていて歯がゆいのですが、ヒロインに女岡っ引きなど男装のボーイッシュ少女が多いという点が実にツボ! 作者もきっと三冬好きなのでしょう。
「処刑人・魔狼次」(ころしにん・まろうじ)に登場する寺小姓・お蘭は織田信長に仕えた森蘭丸の子孫で、前髪を残す可憐な十四歳。魔狼次に処女を奪われ、女に目覚めるという展開は実に萌えます。ほとんど無毛の肉丘に紐のように細い木綿の下帯(白)を食い込ませ、愛撫にこたえて大きな染みを作ります。こういう作品こそ実写のビデオ作品で見たいと思うのは筆者だけでしょうか?
そしてJ.さいろーの「斬! 少女剣客・千冬」はタイトルからして「もし佐々木三冬が敵に犯されてしまったら?」という妄想を具現化したような素敵コンセプト。父の留守中、道場を預かる千冬が道場破りに来た荒くれ浪人達との勝負に敗れ、犬のように飼われてしまう大作です。
袴を引きずり下ろされ、褌を刀で切り落とされる描写が素敵。やはりこうでなくては! 道場での全裸素振り強要など、調教のアイデアも豊富で楽しめます。朝の銭湯や河原で千冬が受ける凌辱はあまりに凄惨で好き嫌いが別れるかもしれませんが…。
石野雷太の「美少女武者姫」もふんどし描写の多い傑作! ヒロインの娘武者・十六夜姫(いざよいひめ)だけでなく、小姓姿の結姫・千夏姫にもふんどし描写があります。白絹の褌を締めた十六夜姫と母御前が愛撫の果てにお互いの褌を吊り上げ、相撲状態で絶頂を迎えるクライマックスが素晴らしい。
問題はイラストにふんどしがまったく登場しないことでしょうか? これだけ描写の多い作品にふんどしイラストを描かない(描かせない)とは、イラストレーターも担当編集者も見識が低いと言わざるを得ません。
胸にさらしを巻いた袴姿の美女が追っ手から逃れたり捕まったりといったシチュは、まさに時代劇ならではの危ういエロスの発現であります。
そんな凛々しい女剣士は下着にきっちりとふんどしを締めていなければ! と思うのですが、これにはちゃんとした理由があります。
まず膝丈の長い腰巻ではズボン状の袴は穿けません。ひっかかってしまいますし、腰のところを軽く止めた程度では激しく動くうちに落ちてしまいます。そして刀を振るったりするには力が要ります。古武道でも教えるように、下腹部を締めつけることによってふんばりやすくなるのです。袴の帯やふんどしを臍の下で締めるのは理にかなっているのです。
そして一番大きな理由は、江戸時代までの女性は越中やもっこ褌を生理帯として使っていた、という点です。毎月締めていたのですから、女性にとって実に当たり前のことなのです。何の抵抗感もあろうはずがありません。昔は生理中の女性を穢れたものとして忌み嫌う風習があったので、あまり大っぴらに語られなかっただけなのです。
「鬼平犯科帳」で有名な池波正太郎は筆者も大好きです。特に「剣客商売」シリーズに登場する女剣士・佐々木三冬が最高です。この「新妻」では、敵に捕らえられた三冬が女であることがバレてしまうという素敵シーンがあるのです! 救い出してくれた秋山大治郎との祝言を上げてお話はハッピーエンド。危ういエロさをそこそこ満喫しつつもほっとできる良作です。
三冬の下着に関してはさらし以外の記述がないのですが、「剣客…」シリーズの番外編「まんぞく まんぞく」の主人公・堀真琴にその描写があります。彼女の下着は、なんと膝上まで切り詰めた腰巻なのです。たしかにこれなら袴は穿けるでしょうが、今ひとつ釈然としません。男嫌いが原因で剣術にはまり、男の着物まで着る真琴が、わざわざ下着だけ腰巻にこだわる理由がありません。
考えるに、これは氏一流の創作ではないでしょうか? 池波先生が女相撲や生理帯の話を知らないとは思えませんが、ふんどしを出すとそこらへんの話にも触れねばならず、下世話になりすぎるのを避けたのでしょう。池波作品はグルメ描写が大きな魅力ですが、料理研究家によれば嘘も多いとのこと。つまり、池波先生は正確な時代考証とは別に読者を楽しませるウソのテクニックにも長けていた、ということなのでしょう。
これだけ人気のある池波作品に女褌が登場していたら、世間の理解度も大分違っていたはずなんですけどねぇ…。そう考えるとなんとも残念ではあります。
「桃太郎侍」の原作で有名な山手樹一郎(やまて・きいちろう)の「鶴姫やくざ帖」にも実に素敵な女侍が出てきます。双子の姉の危機を救うため「鶴太郎」と名乗って江戸を目指す鶴姫と、それを助ける謎の浪人・松島銀之助の活躍を描く痛快娯楽編。
残念ながらこれにもふんどしは出てきませんが、銀之助に見張ってもらって入浴するシーンや控え目ながら濡れ場もあり、普段は乱暴な男言葉なのに2人きりの時は女言葉に戻るというギャップが実に萌えさせてくれます! 同工異曲の設定・展開を見せる「紅顔夜叉」や、女装の麗人・犬坂毛野が活躍する「新編・八犬伝」も傑作。
鳴海丈も池波作品を下敷きにしているらしく女侍の下着を短い腰巻や袴にしていて歯がゆいのですが、ヒロインに女岡っ引きなど男装のボーイッシュ少女が多いという点が実にツボ! 作者もきっと三冬好きなのでしょう。
「処刑人・魔狼次」(ころしにん・まろうじ)に登場する寺小姓・お蘭は織田信長に仕えた森蘭丸の子孫で、前髪を残す可憐な十四歳。魔狼次に処女を奪われ、女に目覚めるという展開は実に萌えます。ほとんど無毛の肉丘に紐のように細い木綿の下帯(白)を食い込ませ、愛撫にこたえて大きな染みを作ります。こういう作品こそ実写のビデオ作品で見たいと思うのは筆者だけでしょうか?
そしてJ.さいろーの「斬! 少女剣客・千冬」はタイトルからして「もし佐々木三冬が敵に犯されてしまったら?」という妄想を具現化したような素敵コンセプト。父の留守中、道場を預かる千冬が道場破りに来た荒くれ浪人達との勝負に敗れ、犬のように飼われてしまう大作です。
袴を引きずり下ろされ、褌を刀で切り落とされる描写が素敵。やはりこうでなくては! 道場での全裸素振り強要など、調教のアイデアも豊富で楽しめます。朝の銭湯や河原で千冬が受ける凌辱はあまりに凄惨で好き嫌いが別れるかもしれませんが…。
石野雷太の「美少女武者姫」もふんどし描写の多い傑作! ヒロインの娘武者・十六夜姫(いざよいひめ)だけでなく、小姓姿の結姫・千夏姫にもふんどし描写があります。白絹の褌を締めた十六夜姫と母御前が愛撫の果てにお互いの褌を吊り上げ、相撲状態で絶頂を迎えるクライマックスが素晴らしい。
問題はイラストにふんどしがまったく登場しないことでしょうか? これだけ描写の多い作品にふんどしイラストを描かない(描かせない)とは、イラストレーターも担当編集者も見識が低いと言わざるを得ません。